昼食の時間は休憩時間ではない|元教員が感じた、学校給食の負担と合理的な方法

仕事

学校の「給食」と聞くと、多くの人はどんな光景を思い浮かべるでしょうか。

教室で子どもたちが給食を食べている姿。
給食当番が配膳をして、みんなで「いただきます」をして、食べ終わったら片付ける。

外から見ると、ごく当たり前の学校生活の一場面です。

私自身も、教員になるまでは、給食の時間をそこまで特別なものだとは考えていませんでした。

しかし、実際に学校で働いてみると、給食の時間は単なる「昼食の時間」ではありませんでした。

むしろ教員にとっては、かなり緊張を強いられる時間です。

給食指導には、常に緊張がある

特に気を遣っていたのが、食物アレルギーです。

給食は、全員に同じものを提供するというシンプルな仕組みに見えて、実際には一人ひとりの食事について細かな確認が必要になります。

今日は何が出るのか。

誰にどのような配慮が必要なのか。

配膳の際に間違いがないか。

食べる段階で問題がないか。

そして、何かあった場合にどう対応するのか。

毎日の食事管理、確認、報告。

そうした作業が積み重なっていきます。

特にアレルギーについては、「たぶん大丈夫」では済みません。

万が一の事故を防ぐために、毎日、緊張感を持って対応する必要があります。

給食の時間に教員が教室にいるのは、単に「子どもたちがちゃんと食べているかを見るため」だけではありません。

安全管理という意味でも、重要な仕事なのです。

給食費は月額約6,000円。教員は給与から天引き。

当時、給食費は月額約6,000円でした。

教員の場合、給与から天引きされていました。

特に担任は、教室で生徒と一緒に食べるため、断ることはほぼ不可能です。

もちろん、学校給食そのものには大きな意義があります。

栄養面を考えた食事を提供できること。

家庭の事情にかかわらず、子どもたちに一定の食事を保障できること。

食育の機会になること。

みんなで同じものを食べる経験ができること。

こうしたメリットは確かにあります。

ですから、私は「全員給食制度なんてなくしてしまえばいい」と考えているわけではありません。

むしろ、学校給食には学校給食の良さがあります。

ただ、実際にその現場を担当してみると、想像以上に大きな仕事であることが分かります。

配膳で起こる、ちょっとしたアクシデント

給食では、毎日のように完璧に物事が進むわけではありません。

配膳の途中で、生徒がお盆からひっくり返してしまうこともあります。

盛り付けがうまくいかず、最後に人数分が足りなくなってしまうこともあります。

「あと一人分足りない」

そんな状況になったとき、どうするか。

教員としては、当然、生徒に食べてもらうことを優先します。

そのため、自分の分を真っ先に生徒に分けることになります。

結果として、自分が食べる分はほとんどなくなる。

そんなことも、決して珍しくありませんでした。

「弁当方式」の希望制給食の学校

そんな私が、以前勤務した学校で経験したのが、いわゆる「弁当方式」の昼食でした。

これが、非常に合理的だったのです。

その学校では、生徒や教員が昼食を注文するかどうかも自由でした。

学校の外部委託業者が用意するお弁当を注文してもいい。

自宅からお弁当を持ってきてもいい。

これだと、生徒自身による配膳もありません。

一人ひとりに盛り付ける必要もありません。

お弁当箱を受け取る。

それを食べる。

基本的には、それだけです。

配膳時間がかからない、衛生的にも優れている、そして何よりも教員のアレルギー対応業務がいらない。

この違いは、現場にいると非常に大きく感じました。

アレルギー対応という意味でも合理的だった

特に私が合理的だと感じたのが、アレルギー対応でした。

学校が一律に給食を管理して、個々の生徒について細かな除去食や代替食などを調整するのではありません。

最初から学校の昼食を注文せず、自宅からお弁当を持ってくるという選択肢がありました。

もちろん、アレルギーのある生徒に対する学校側の安全配慮が必要ないという意味ではありません。

学校生活である以上、必要な情報共有や緊急時の対応などは当然必要です。

ただ、毎日の給食そのものについて、学校がすべてを管理しなければならない仕組みとは違います。

「食べてはいけないものを除く」という複雑な管理をするのではなく、

「そもそも学校が提供する食事を注文しない」

という選択ができる。

これは、現場の負担という意味では非常にシンプルでした。

「全員同じ」より「選択できる」ことの合理性

学校給食というと、「全員が同じものを食べる」ということに価値があると考えられがちです。

それはそれで理解できます。

同じ時間に、同じ食事を囲む。

好き嫌いを考えながら食べる。

給食を通じて食文化や栄養について学ぶ。

こうした教育的な意味もあるでしょう。

一方で、すべての生徒に同じ方法を適用することが、必ずしも最も合理的とは限りません。

家庭から弁当を持ってくる。

学校のお弁当を注文する。

そのどちらを選んでもいい。

そういう仕組みであれば、それぞれの家庭の事情や生徒の事情にも対応しやすくなります。

少なくとも私が経験した範囲では、現場の教員にとっては、とてもシンプルでした。

そして、生徒や教員にとっても、自分に合った昼食を選べるというメリットがありました。

教員にとって「給食」は食事ではなく業務でもある

学校給食について考えるとき、どうしても「子どもたちに何を食べさせるか」という視点が中心になります。

もちろん、それは重要です。

しかし、もう一つ考えてほしいのが、「その食事を安全に提供するために、誰がどれだけの仕事をしているのか」ということです。

給食費の管理。

献立の確認。

アレルギー情報の確認。

配膳。

食事中の見守り。

事故防止。

食べ終わった後の片付け。

必要に応じた報告。

こうした業務が毎日発生します。

しかも学校では、給食の時間だけ仕事をしているわけではありません。

授業があり、休み時間の指導があり、昼休みには部活動や委員会、生徒指導、生徒からの相談があります。

給食の時間も含めて、学校の一日はずっと続いていくのです。

だからこそ、「給食の時間=教員の休憩時間」と考えてしまうと、現場の実態とは大きく違ってしまいます。

給食制度を否定したいわけではない

ここは、はっきり書いておきたいと思います。

私は、全員給食制度そのものを否定したいわけではありません。

学校給食には多くのメリットがあります。

経済的な負担を抑えながら食事を提供できること。

栄養面への配慮ができること。

食育につながること。

家庭環境による昼食の格差を小さくする役割を果たせること。

そうした意義は十分に理解できます。

ただ、学校現場で実際に働いた経験からすると、「給食を提供する方法」は、もっと柔軟に考えてもいいのではないかと思うのです。

私が経験した「弁当方式」は、注文も自由、自宅から持参することもでき、生徒自身の配膳もありませんでした。

教員側からすると、業務として非常にシンプルでした。

そして、アレルギーについても、学校が毎日の食事を細かく管理する必要がないケースを作ることができました。

大切なのは「給食か弁当か」だけではない

結局のところ、問題は「給食が良いのか、お弁当が良いのか」という二択ではないのかもしれません。

大切なのは、

「子どもたちに安全で十分な食事を提供する」

という目的を達成するために、どのような方法が最も現場に合っているのか、ということだと思います。

全員給食という仕組みが合う学校もあるでしょう。

一方で、注文制や弁当持参を組み合わせたほうが合理的な学校もあるかもしれません。

そして、制度を考えるときには、生徒だけでなく、それを毎日運用している教職員の負担についても、もっと目を向けていいと思います。

給食は、子どもたちにとっては「昼ごはん」です。

でも、教員にとっては「昼ごはん」であると同時に、安全管理を伴う業務でもあります。

私自身、両方の方式を経験してみて、初めてその違いを実感しました。

全員給食を否定するつもりはありません。

ただ、「こういうやり方もある」と知っておくことには意味があると思います。

学校の昼食は、必ずしも一つの形でなければならないわけではありません。

生徒にとっても、家庭にとっても、そして学校で働く教職員にとっても、無理なく安全に続けられる仕組み。

そういう視点から、給食について考えてみてもいいのではないでしょうか。

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