朝6時半には家を出る、帰宅は19時。それでも終わらない教員生活|自分の時間が欲しかった

仕事

教員として働いていた頃、私の一日はかなり早く始まっていました。

朝の通勤ラッシュのあるので、朝は早めに6時半には家を出る。学校に到着するのは7時半。

それから、教室の準備をしたり、その日の授業の確認をしたり、生徒を迎えるための準備をしたり。

もちろん、始業時刻になれば仕事が始まるわけですが、実際にはその前からやることがあります。

「授業が始まる時間が勤務開始時間」

そんな単純な話ではありません。

朝、生徒が来る前にやっておかなければならない仕事があるからです。

そして夕方。

部活動については、以前に比べれば勤務時間内に収める方向になっていました。

これは働き方改革として、もちろん必要なことだと思います。

しかし、生徒が下校してからすぐに教員の仕事が終わるわけではありません。

生徒が帰った後には、毎日、教室の整理、提出物のチェック、などがあります。

家庭への連絡が必要なこともあります。

保護者からの連絡への対応、明日の授業の準備、学年や校務分掌に関する仕事など、やることはいくらでもあります。

勤務時間が終わるまでの30分で、これらすべてを終わらせることは簡単ではありません。

結局、学校を出るのは18時を過ぎ、家に着くのは19時ころ。

これでも、まだ学校の滞在時間は短い方でした。管理職よりも朝早く来ている先生、そして夜も遅くまで残っている先生も数多くいらっしゃいました。

家に帰っても自分の時間にはならない

学校を出れば仕事が終わる。

普通なら、そう考えると思います。

ところが、家に帰れば家事があります。

食事を用意する。

食べる。

片付ける。

洗濯をする。

必要なことを最低限こなす。

もちろん、家事そのものが嫌だったというわけではありません。

生活するためには必要なことです。

でも、仕事から帰ってきて、最低限の家事を済ませると、もうかなり疲れています。

「ちょっとテレビでも見よう」

「本を読もう」

「ネットでも見よう」

そう思っていても、ソファに座ると強烈な眠気が襲ってくる。

結局、そのまま寝てしまう。

そんな日も珍しくありませんでした。

忙しい時期には仕事を持ち帰ることも

さらに忙しい時期になると、学校で終わらなかった仕事を家に持ち帰ることもありました。

例えば、学級通信や学年だよりなどの作成。

学校でやればいい。

そう思うのですが、学校では次から次へと別の仕事が入ってきます。

生徒への対応があったり、電話がかかってきたり、急な打ち合わせが入ったりする。

予定していた仕事が、予定通り進まない。

そこで、結局は家に持ち帰る。

家に帰ってからパソコンを開き、文章を作る。

「これが終わったら寝よう」

そう思いながら仕事をする。

そして翌朝になれば、また学校へ向かう。

この繰り返しです。

毎日、家と学校の往復になっていた

振り返ってみると、私の生活はかなり単純でした。

朝、家を出る。

学校へ行く。

仕事をする。

夕方、学校を出る。

家に帰る。

最低限の家事をする。

疲れて寝る。

そして翌朝、また学校へ行く。

休日になれば、平日にできなかった家事をする。

疲れているので、どこかへ出かける気力もあまりない。

そうすると、また月曜日がやってくる。

まさに「家と学校の往復」です。

もちろん、教員という仕事にはやりがいもありました。

生徒の成長を感じる瞬間もあります。

授業がうまくいったときの達成感もあります。

卒業していく生徒を見ると、「この仕事をやっていてよかった」と思うこともありました。

だからこそ、単純に「教員は大変だから辞めればいい」という話ではありません。

問題は、仕事が生活のほとんどを占めてしまうことだったのです。

本を読む時間が欲しかった

私は、本を読む時間が欲しかった。

それほど特別な願いではありません。

そして、興味のあることを調べる。

ネットを見る。

テレビを見る。

好きな音楽を聴く。

そんな時間が欲しかった。

旅行に行きたいとか、高級な車が欲しいとか、豪華な生活をしたいという話ではありません。

ただ、自分が興味を持ったことについて考えたり、調べたりする時間が欲しかったのです。

仕事をしていない時間くらい、自分の好きなことをしたい。

それは、決して贅沢な願いではないと思います。

「健康で文化的な最低限度の生活」とは何なのか

日本国憲法第25条には、

「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」

について書かれています。

もちろん、これは社会保障などを含めた憲法上の理念であり、単純に「仕事が忙しい」という話と直接結びつけるものではありません。

ただ、教員として働いていた当時、私は時々この言葉を思い出していました。

健康であること。

そして、文化的な生活を送ること。

食べて、寝て、働くだけではなく、本を読んだり、音楽を聴いたり、テレビを見たり、誰かと話したり、自分の興味のあることに時間を使ったりする。

そういう時間も、人間らしく生活するためには必要なのではないでしょうか。

仕事以外の時間がほとんど残らない生活を、何十年も続ける。

それが本当に自分の望んでいた人生なのか。

私は、次第にそう考えるようになりました。

働くために生きているのか、生きるために働いているのか

教員に限った話ではないと思います。

どんな仕事でも忙しい時期はあります。

残業が必要なこともあるでしょう。

責任のある仕事なら、簡単には帰れないこともあります。

しかし、それが毎日のように続くのであれば、一度立ち止まって考える必要があります。

「自分は何のために働いているのだろう」

「この生活をあと10年、20年続けたいのだろうか」

「仕事以外に、自分の人生はあるのだろうか」

私は、こうしたことを考えるようになりました。

もちろん、仕事を辞めることだけが答えではありません。

勤務時間を短くする。

仕事のやり方を変える。

不要な仕事を断る。

休日は仕事をしない。

転職を考える。

別の働き方を探す。

場合によっては、一度休む。

いろいろな選択肢があります。

大切なのは、「今の生活が当たり前だから」と思考停止しないことではないでしょうか。

教員を辞める前に考えてほしいこと

もし今、教員として働いていて、

「毎日が家と学校の往復だけ」

「帰宅すると疲れて何もできない」

「趣味をする時間がない」

「休日も仕事のことが頭から離れない」

「この生活を何十年も続けるのは厳しい」

そう感じているのであれば、一度、自分の生活を数字で確認してみるのもいいと思います。

一週間のうち、仕事に何時間使っているのか。

通勤には何時間かかっているのか。

家事にはどれくらい時間を使っているのか。

睡眠時間は十分なのか。

そして、自分が自由に使える時間は一日に何時間あるのか。

実際に書き出してみると、「自分にはこんなに時間がなかったのか」と驚くかもしれません。

そのうえで、今の仕事を続けるのか。

働き方を変えるのか。

別の仕事を探すのか。

考えてみてもいいのではないでしょうか。

転職を考える場合には、いきなり退職するのではなく、まず現在どんな求人があるのかを調べてみるだけでも構いません。

「教員を辞めたら何もできない」

そう思っている人ほど、外の世界を一度見てみることには意味があると思います。

「自分の時間が欲しい」はわがままではない

今振り返って思うのは、「自分の時間が欲しい」という願いは、決してわがままではなかったということです。

朝から夜まで働いて、家に帰って最低限のことをして、疲れて寝る。

そんな生活を続けていれば、心も体も少しずつすり減っていきます。

本を読みたい。

テレビを見たい。

ネットを見たい。

趣味を楽しみたい。

何もせずぼんやりしたい。

そんな時間があってもいい。

むしろ、人間が人間らしく生活するためには、必要な時間なのだと思います。

私は、人生の後半になってから改めてそう感じるようになりました。

仕事は大切です。

しかし、人生のすべてではありません。

一度しかない人生なのだから、仕事以外の時間も大切にしたい。

「朝起きて、仕事へ行き、帰って、寝る」

それだけの毎日を何十年も続けるのではなく、自分の好きなことをする時間も持ちたい。

私は、そんな人生を送りたかった。

そして今、もし同じように「自分の時間が欲しい」と感じている教員がいるなら、その気持ちは一度大切にしてほしいと思っています。

退職するか、続けるか。

それを決めるのは、その後でもいい。

まずは、自分がどんな人生を送りたいのかを考える。

そのために、転職情報を調べたり、他の働き方を知ったり、専門家に相談したりする。

選択肢を知るだけでも、少し見える景色が変わるかもしれません。

私が欲しかったのは、特別な生活ではありませんでした。

ただ、本を読んだり、テレビを見たり、ネットを楽しんだり、ゆっくり眠ったりする時間。

そして、「今日は自分のために時間を使えた」と思える毎日。

それだけでした。

仕事のために生きるのではなく、

自分の人生を生きるために働く。

今になって、そんな当たり前のことを改めて考えています。

タイトルとURLをコピーしました