学校はどこまで家庭のスマホ・SNSトラブルに関わるのか|元教員が感じた「教科の専門家」という仕事の変化

仕事

元教員です。

教員をしていた頃、仕事をしていて「ここまで学校が関わらなければならないのか」と感じることが、年々増えていきました。

その一つが、生徒のスマートフォンやSNSをめぐるトラブルです。

もちろん、子どもたちがスマートフォンを使うこと自体が悪いわけではありません。

LINE、Instagram、TikTokなど、今の子どもたちにとってSNSは友人関係を築くための身近なコミュニケーション手段です。

一方で、そこからさまざまな問題が起こります。

クラスLINEでの言い争い。

仲間内のInstagramでの悪口。

名前を出してはいないものの、誰のことを言っているのか周囲には明らかに分かるような「あだ名」。

本人の許可なく写真を掲載する。

写真を勝手に加工して、悪意のある画像にしてしまう。

さらに、それを見た別の生徒がスクリーンショットして拡散する。

一度ネット上に出てしまうと、問題は学校の中だけでは簡単に収まりません。

そして、その対応を学校に求められることがあります。

教員は生徒のスマホの中身を見ることができるのか

ここが非常に難しいところでした。

学校で起きたトラブルなら、教員が状況を確認して、生徒から話を聞き、必要な対応を考えることになります。

しかし、SNSのトラブルの場合、実際のやり取りが行われているのは生徒のスマートフォンの中です。

教員が直接そのスマートフォンを操作して、LINEやInstagramの内容を確認するわけにはいきません。

「こんな書き込みがあるらしい」

「こういう画像が出回っているらしい」

「○○さんが悪口を書いたらしい」

そんな情報を生徒から聞きながら、何が事実なのかを確認していくことになります。

しかも、SNS上のやり取りは学校の外で行われていることも少なくありません。

放課後、自宅でスマートフォンを使っていた。

休日にInstagramへ写真を投稿した。

夜遅くにグループLINEでトラブルになった。

それでも、翌日学校に来れば、当然ながら当事者同士が顔を合わせます。

「学校とは関係のない家庭内の問題」と簡単に切り離すことができないのです。

スマホを持たせるのは基本的に家庭の判断では?

ここには難しい問題があります。

スマートフォンを子どもに持たせるかどうか。

何歳から持たせるか。

どのアプリを使わせるか。

利用時間をどうするか。

SNSを使わせるか。

こうしたことは、基本的には家庭で考える部分が大きいのではないでしょうか。

ところが、いざトラブルが起きると、その影響が学校生活に及びます。

「学校でなんとかしてください」

「相手の子に注意してください」

「担任から話をしてください」

「クラスで指導してください」

学校としても、生徒同士の人間関係に影響する以上、完全に無関係とは言えません。

だからこそ教員は対応することになります。

しかし、心の中では、

「これは学校の仕事なのだろうか」

と思ってしまうこともありました。

子どものほうがスマホの使い方をよく知っている

これも、教員として難しさを感じた部分です。

大人より子どものほうが、スマートフォンやSNSの使い方に詳しいことがあります。

新しいアプリを知っている。

新しい機能を知っている。

大人が知らないような言葉を使っている。

表面上は普通の文章でも、仲間内では別の意味を持っている。

匿名アカウントを使う。

写真を加工する。

スクリーンショットを保存する。

別の場所へ転送する。

こうしたことを、生徒たちは非常に早く覚えていきます。

教員が一つの問題を把握した頃には、すでに別の場所へ情報が広がっていることもあります。

「これは誰が書いたのか」

「誰が画像を投稿したのか」

「誰が最初に拡散したのか」

調べようとしても、簡単には分かりません。

しかも、匿名であっても、クラスの中では誰のことなのか明らかに分かるような書き方がされている場合があります。

名前を書いていなくても、特徴的なあだ名や出来事を書けば、周囲には分かってしまう。

SNSの世界では「匿名だから大丈夫」ということにはならないのです。

「うちの子がそんなことをするはずがない」

保護者の立場からすれば、当然のことかもしれません。

自分の子どもが、友達の悪口を書いている。

誰かの写真を勝手に載せている。

誰かを傷つけるような画像を作っている。

あるいは逆に、自分の子どもがSNS上で嫌なことをされている。

そうしたことを、普段から想像している保護者は決して多くないでしょう。

「うちの子はそんなことをしないと思っていた」

「そんなSNSを使っているとは知らなかった」

問題が起きてから初めて知ることもあります。

そして、そこで学校が間に入ることになります。

もちろん、学校が関係する問題であれば、教員が対応することには意味があります。

しかし、その背景には家庭でのスマートフォンの使用状況や、SNSの利用方法があります。

学校だけで解決できる問題ではありません。

「教科を教える先生」はどこへ行ったのか

私が教員をしていて、ときどき考えていたことがあります。

「自分は何の専門家なのだろう」

私は教員です。

本来、担当する教科を教える専門家として、授業を行い、生徒の学びを支える仕事があります。

ところが実際には、それだけではありません。

不登校への対応。

保護者対応。

生徒同士の人間関係。

アレルギー対応。

生活指導。

進路相談。

SNSトラブル。

家庭で起きた問題への対応。

さまざまな問題が学校に持ち込まれてきます。

もちろん、教師が生徒の生活全般に関心を持つことは大切です。

教育は授業だけではありません。

しかし、何でもかんでも学校が抱え込むようになると、当然ながら本来の仕事に使える時間は減っていきます。

SNSトラブルの対応をしている間、授業準備の時間が削られる。

保護者との電話をしている間、教材研究が後回しになる。

生徒同士のトラブルについて話し合っている間、翌日の授業の準備ができない。

こうして仕事が積み重なっていきます。

「学校で何とかしてください」では限界がある

私は、学校が何もしなくていいと言いたいわけではありません。

むしろ、生徒が学校生活を送るうえで深刻な影響が出ているのであれば、学校として一定の対応は必要でしょう。

ただし、学校だけで解決できる問題ではないと思っています。

スマートフォンを持たせる。

SNSを利用させる。

家庭でどのようなルールを決めるのか。

利用時間をどうするのか。

トラブルが起きたときに、まず誰に相談するのか。

こうしたことについては、家庭でも考えておく必要があります。

学校からSNSについて指導することにも意味があります。

しかし、学校の指導だけで子どものSNS利用を管理することには限界があります。

家庭、学校、場合によっては専門機関など、それぞれの役割を考えていく必要があるのではないでしょうか。

教員が疲弊してしまう理由

こうした仕事が一つだけなら、まだ対応できます。

しかし、実際の学校では、SNSトラブルだけが起こるわけではありません。

一つの問題が終わったと思ったら、別の問題が起こります。

そして、それぞれに「生徒のために」という理由があります。

だから教員は断りにくい。

「生徒のためなら仕方がない」

「担任なのだから」

「学校で起きたことなのだから」

そうやって一つずつ仕事を引き受けていく。

気がつけば、本来の教科指導以外の仕事がどんどん増えていきます。

私は元教員として、ここに現在の学校の大きな難しさがあるように感じています。

教員が冷たくなったからではありません。

生徒に関心がなくなったからでもありません。

むしろ、真面目に対応しようとする教員ほど、さまざまな問題を抱え込んでしまうのではないでしょうか。

教員を続けることに疑問を感じたら

もし今、教員として働いていて、

「こんなことまで自分がやるのか」

「授業をする時間がない」

「本当に自分がやりたかった仕事はこれなのか」

そんな疑問を感じているなら、一度立ち止まって考えてみてもいいと思います。

教員を続けることだけが正解ではありません。

もちろん、辞めることだけが答えでもありません。

校種を変える。

勤務形態を変える。

異動を考える。

別の仕事を探してみる。

あるいは、今の仕事を続けながら、将来の選択肢を準備しておく。

いろいろな道があります。

私自身も、長く教員を続けたからこそ、「仕事とは何なのか」「残りの人生をどう過ごしたいのか」を考えるようになりました。

転職サイトなどを利用して、すぐに転職する必要はありません。

まずは今の自分にどんな選択肢があるのか、どんな仕事があるのかを調べてみる。

それだけでも、自分の視野が少し広がることがあります。

「辞めるため」ではなく、「辞めるという選択肢も含めて考えるため」。

そんな使い方でもいいのではないでしょうか。

教員の仕事を、もう一度考えてみたい

スマートフォンやSNSのトラブルは、これからも学校と無関係ではいられないでしょう。

子どもたちがスマートフォンを使う以上、学校生活との接点は必ず生まれます。

だからこそ、学校がどこまで担うのか。

家庭がどこまで担うのか。

そして、教員がどこまで担うのか。

それを考える必要があると思います。

教員は何でも屋ではありません。

教科を教える専門家としての役割があります。

生徒の成長を支えるという大切な役割があります。

しかし、そのためには教員自身が疲弊しきらないことも重要です。

「生徒のため」という言葉だけで、際限なく仕事を増やしていけば、最後には教員自身が倒れてしまいます。

私が現役時代に感じていた、

「教科の専門家としての教員の姿は、いったいどこへ行ったのだろう」

という疑問。

今でも、ときどき考えます。

学校が抱える問題が増えているからこそ、すべてを教員だけで抱え込むのではなく、それぞれの立場と役割を見直す時期に来ているのではないでしょうか。

そして、もし今の働き方に疑問を感じている先生がいるなら、

「教員を辞めるか、続けるか」

という二択だけで考える必要はありません。

まずは外の世界を少し見てみる。

転職情報を調べてみる。

自分の経験が他の仕事でどう生かせるのか考えてみる。

それだけでも、見えてくるものがあるかもしれません。

人生は、教員という一つの仕事だけで終わるものではありません。

私自身、元教員になってから、そう思うようになりました。

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