教員の本来の仕事とは?|限りなく増え続ける「先生の仕事」と、受け継がれる教員の文化

仕事

「先生って、授業をして、生徒を指導する仕事ですよね」

教員ではない人からすれば、教員の仕事はそんなイメージかもしれません。

もちろん、それだけではありません。

授業の準備、教材研究、採点、成績処理、学級経営、生徒指導、保護者対応、進路指導、学校行事、会議、校務分掌……。

挙げ始めれば、いくらでも出てきます。

そして問題なのは、教員の仕事が「増えている」だけではありません。

学校の中には、いつの間にか「先生がやること」になってしまった仕事が数多く存在します。

本来なら、誰がやるべきなのか。

本当に必要な仕事なのか。

もっと簡単な方法はないのか。

そう考えることなく、「昔からこうやっているから」「前任者もやっていたから」「みんながやっているから」という理由で続いている仕事もあります。

私は長く教員として学校現場にいましたが、教員の仕事を考えるとき、非常に重要なのが文部科学省が示している「学校と教師の業務の3分類」だと思っています。

文部科学省が示す「学校と教師の業務の3分類」とは

文部科学省は、教師が教師でなければできない仕事に集中できるよう、学校と教師が担う業務について整理しています。

現在示されている分類は、大きく3つです。

①学校以外が担うべき業務

代表例として、

・登下校時の通学路の見守り
・放課後や夜間の校外見回り
・学校徴収金の徴収・管理
・地域学校協働活動の関係者との連絡調整
・過剰な苦情や不当な要求など、学校だけでは対応が困難な事案

などが挙げられています。

つまり、「学校に関係することだから先生が全部やる」という考え方ではないのです。

例えば、登下校時の安全確保。

子どもの安全は非常に重要です。

しかし、それは必ずしも「教員が毎朝、毎日、通学路に立たなければならない」という意味ではありません。

地域や自治体など、それぞれの役割に応じて分担することが考えられます。

同じように、学校徴収金の管理も、教育の専門家である教師が必ずしも中心になって行う必要がある仕事ではありません。

②教師以外が積極的に参画すべき業務

次に、

・調査、統計などへの回答
・学校ホームページや広報資料の作成・管理
・ICT機器やネットワークの保守
・学校施設の管理
・校舎の開錠、施錠
・休み時間の安全への配慮
・校内清掃
・部活動

などがあります。

ここは学校現場にいると、非常に考えさせられるところです。

例えば、ICT機器が故障した。

「先生だから詳しいでしょう」

と言われて、教員が設定やトラブル対応をする。

学校ホームページを更新する。

調査票を作成する。

学校行事の案内文を作る。

施設の管理をする。

これらが積み重なると、教師は「教育の専門家」なのか「学校にあるものを何でも担当する便利屋」なのか、分からなくなってきます。

文部科学省も、こうした業務について事務職員、支援スタッフ、外部委託などの活用を示しています。

③教師の業務だが、負担軽減を促進すべき業務

そして、

・給食時の対応
・授業準備
・学習評価、成績処理
・学校行事の準備、運営
・進路指導の準備
・支援が必要な児童生徒や家庭への対応

などです。

これは「教師がやらなくていい」と言っているわけではありません。

教師の専門性が必要な部分は教師が担う。

一方で、印刷、資料整理、採点の補助、データ入力など、補助的な仕事については支援スタッフやデジタル技術などを活用して負担を減らす。

そういう考え方です。

つまり、文部科学省が示しているのは、

「先生が全部やる」という発想から、「誰がやるのが適切なのか」を考える発想への転換

なのだと思います。

ところが学校現場では「限りない仕事」が生まれる

ここからは、私自身が学校現場で感じていたことです。

学校には、正式な業務として決められている仕事だけではなく、

「これもやったほうがいいよね」

「去年もやっていたから」

「保護者から言われたら困るから」

「他の先生もやっているから」

という理由で、仕事がどんどん増えていきます。

一つ一つは、それほど大きな仕事ではありません。

しかし、5分、10分、20分の仕事が積み重なる。

さらに、その仕事について会議をする。

会議で決まったことを文書にする。

文書を確認する。

修正する。

そして、また会議をする。

気がつけば、本来の授業や生徒と向き合う時間が削られていきます。

これが「限りない教員の仕事」の正体の一つではないでしょうか。

教員の敵は「教員」になってしまうこともある

少し厳しい言い方になります。

学校の多忙化を考えるとき、管理職や教育委員会だけを原因にしてしまうのも違うと思っています。

なぜなら、学校の中には、

教員自身が新しい仕事を生み出している

という現実もあるからです。

例えば、学級通信。

最低限の情報を伝えるだけでいいのに、毎回、写真を何枚も載せ、文章を考え、レイアウトを整え、カラー印刷まで行う。

掲示物も同じです。

「もっときれいに」

「もっと分かりやすく」

「去年より良く」

と考えているうちに、どんどん手間が増えていく。

学校行事もそうです。

「せっかくやるなら、もっと充実させよう」

という気持ちは分かります。

しかし、その「もっと」が積み重なっていけば、教員の仕事は永遠に終わりません。

「生徒のため」という言葉が、仕事を増やしていく

学校では非常に強力な言葉があります。

それが、

「生徒のため」

です。

もちろん、生徒のために努力することは教師の重要な役割です。

しかし、

「生徒のためだから」

と言われてしまうと、なかなか「そこまで必要ですか」と言えなくなります。

新しい取り組みをする。

資料を増やす。

行事を充実させる。

休日にも準備する。

放課後も残る。

そして、翌年にはそれが「昨年度もやった仕事」になります。

さらに翌年には、

「去年やったので、今年もやります」

となります。

こうして、一度始めた仕事がなくならない。

仕事は「ビルド&ビルド」。

減らすことなく、上に積み上げられていく。

これでは、どれだけ真面目な教員でも疲弊します。

定時になっても帰らない職員室

もう一つ、学校独特の文化があります。

定時になっても、なかなか帰らないことです。

もちろん、仕事が残っていて帰れない先生もいます。

そこは単純に批判できません。

しかし、仕事が終わっているのに職員室に残っている。

同僚と雑談をする。

仕事の話をする。

何となくパソコンを触る。

そして気がつけば、定時から1時間、2時間と経っている。

こういう光景も学校では珍しくありません。

本人にとっては「少し話してから帰ろう」なのかもしれません。

しかし、それが職場全体の文化になると話は変わります。

定時に帰る先生が、

「もう帰るの?」

という目で見られる。

早く帰ることに罪悪感を持つ。

周りが残っているから、自分も残る。

そして、「教員は遅くまで学校にいるもの」という空気が出来上がってしまいます。

これは仕事量だけの問題ではありません。

職場の文化の問題でもあります。

本当に必要なのは「仕事を増やす能力」ではなく「仕事を減らす能力」

教師は真面目な人が多いと思います。

だからこそ、頼まれた仕事を断れない。

新しい仕事が来れば、とりあえずやってみる。

「自分がやれば済むから」と引き受ける。

そして、気がつけば仕事が山のようになっている。

しかし、本当の働き方改革とは、仕事を効率よくこなすことだけではないはずです。

そもそも、その仕事は必要なのか。

教師がやる必要があるのか。

毎年続ける必要があるのか。

もっと簡単にできないのか。

こうした問いを持つことが重要なのだと思います。

文部科学省も「学校と教師の業務の3分類」を示し、教師が教師でなければできない業務に集中できる環境づくりを進めています。

つまり、これは単なる「教員が楽をしたい」という話ではありません。

教育の質を維持するためにも、教師が本当に教師として力を使うべき仕事に集中する必要があるという話なのです。

教員の本来の仕事とは何なのか

では、教員の本来の仕事とは何でしょうか。

私は、

子どもたちの学びを支え、成長を支援すること。

そこが中心なのだと思います。

授業をする。

生徒の理解度を把握する。

必要な支援をする。

進路について一緒に考える。

悩みを抱える生徒に寄り添う。

子どもたちが安心して学校生活を送れる環境をつくる。

もちろん、そのためには授業準備や成績処理なども必要です。

しかし、「学校に関係することは何でも教員がやる」ということとは違います。

教師が何でも屋になればなるほど、教師にしかできない仕事に使える時間は減ってしまいます。

だからこそ、仕事を増やす前に、

「これは本当に必要な仕事なのか?」

と考える。

そして、仕事を減らす。

誰かに任せる。

外部に委託する。

デジタル化する。

勇気をもってやめる。

こうした選択肢を持つことが大切なのではないでしょうか。

「頑張っている先生」だけを評価する学校から卒業する

遅くまで学校に残っている。

休日も学校に来る。

大量の資料を作る。

行事を誰よりも頑張る。

何でも引き受ける。

こうした教員を「熱心な先生」と評価する文化が、学校にはまだ残っているように思います。

しかし、本当に大切なのは、どれだけ長く学校にいたかではありません。

限られた時間の中で、何を大切にしたのか。

何をやめたのか。

何を簡素化したのか。

そして、子どもたちにどのような教育をしたのか。

そこに目を向ける必要があるのではないでしょうか。

「定時に帰る先生=仕事をしていない先生」

ではありません。

逆に、

「夜遅くまで残っている先生=熱心な先生」

とも限りません。

仕事を減らすことは、怠けることではありません。

本当に必要な仕事を残すために、必要のない仕事を手放すことです。

教員自身が「昔からこうだから」という固定観念から離れる。

学校全体で仕事を見直す。

文部科学省が示した3分類を、単なる資料として終わらせない。

そして何より、

「先生がやるのが当たり前」から「誰がやるべき仕事なのか」へ。

この発想に変えていくこと。

それが、これからの学校には必要なのではないでしょうか。

仕事を減らすことは、教育を諦めることではない

教員を辞めた今だからこそ、私はそう思います。

教師が疲れ切ってしまえば、子どもたちに向き合う余裕もなくなります。

だからこそ、教員自身も「頑張ること」だけではなく、「やめること」を考えていい。

もし今、学校の仕事量に悩んでいるなら、一度、自分の仕事を紙に書き出してみてください。

「教師でなければできない仕事」

「誰かに任せられる仕事」

「そもそも、なくしても困らない仕事」

そうやって仕分けしてみるだけでも、見えてくるものがあるかもしれません。

仕事を減らすことは、逃げることではありません。

教育という本来の仕事を守るための、必要な改革なのだと思います。

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